ハードな断捨離

 

散らかった30代

 

大量の(おそらく500着以上)洋服があるのに

今の自分にぴったりの服が一つもないと思っていました。

家の中も物がいっぱいで雑然としていて、何がどこにあるのか分からなくてイライラしていました。

観葉植物を育てようとしてもすぐに元気がなくなり、結果的に枯らしてまうほど空気がよどんでいたのでしょう。

 

30代の私の心の中も散らかった状態でした。

 

服を買いに行くための服がない、

着るものがないから外出が嫌になる、

素敵になれる自信がない。

 

と一人で悩んでいたのは過去の私自身です。

そして、それを誰にもばれないようにひた隠しにしていました。

 

 

ハードな断捨離

このままではいけない、と漠然と思っていたころに、

一冊の断捨離本と出会い、こう思ったのです。

 

よっしゃ!これやったら人生変わるかもしれん!簡単なことやん!

 

単純ですね…。

そんなこんなで洋服の断捨離を始めたのです。(しかも頼まれていない夫の分まで!)

とにかく、今現在「要る」「要らない」の白黒はっきりした分け方です。

それはもう、どこぞの仕訳人のように人の分まで。

 

数か月たって夫が言いました。

「あのジャケットどこいった?昔○○で買って△△に着ていったあれだよ。」

 

処分する前に本人に確認はしましたが、忘れてしまっているようで、少し寂しそうな顔がやけに印象に残りました。

私自身もすでに処分した洋服を探すということが続いたのです。

処分したことを思い出しては心が空っぽな気がして、むなしい気持ちになりました。

言葉にはしませんでしたが夫も同じ気持ちだったと思います。

私は自分と夫の大切な洋服とその思い出まで勢いで捨ててしまったのです。

 

 

価値観はそれぞれ違う

ちょっぴりハードな断捨離を何度か繰り返すうちに

お互いに大切にしているもの(価値観も含めて)が以外に違うところも多いんだなと知りました。

もちろん共通しているところも同じくらいあります。

人生の半分以上を共に過ごしているけれど、今なお新しい側面を知るのはとても新鮮で、驚きでした。

相手を完全に理解することは不可能だと思うのです。

 

でもお互いに歩み寄ることはできます。

互いの価値観が違っているからこそ、見えない景色を見せてもらえたりするんだなと。

 

理由があってもなくても

自分が何が大切・好きで、その理由はこうだから。

明確な理由がないこともあるのですよ。

ただ大切だな・好きだなと思うとき。

大切だとか好きという感覚がぼんやりしているのはもったいないかなと。

今ははっきりとした理由がわからなくとも、ある日突然その理由がわかったりします。

案外、自分以外の誰かのほうが知っていて、こちらが教えてもらうこともあります。

 

自分は何が大事で、なにが好きなのか、

それを思ったとき心がどう感じるか。

 

これは相手に歩み寄るうえでも大切なんだなと。

今はそんな事を考えながらゆるっと毎日を過ごしています。

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